東京では人間らしい生活はできないと思った(その1)

私自身、ずっと東京(と言ってもすごい北のはじっこ)で育ち、
中学~高校はもっぱら池袋、新宿・渋谷あたりで遊んでた訳だから、
大人になるまでそんなことはみじんも感じたことなかった。

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最初に感じたのは子どもを持ったとき。
都会の公園ではいろいろな事件が起こり、
子どもだけでは安心して遊ばせられない状況になっていた。

常に親が一緒に公園に行き、監視のもと遊ぶ子どもたち。
そしてそこでは「公園デビュー」という言葉が生まれていた。

既にできあがっている輪に入って行くことができず、悩む母親…
仲間にはなれたものの、その人間関係に一喜一憂する母親…
周りの子どもと自分の子どもを比較して焦り落ち込む母親…

知らなくてもいい事が嫌でも耳に入ってしまったり、
そんなこと気にしなくていいのに、拍車をかけてくる意地悪な人たちも。

都心だととんでもなく経済的格差に身をさらされることにもなる。
億ションに住んでいる人と安いアパートに住んでいる人が同じ公園に行く。
何も言わなくても空気が教えてくれる。

そんな人だって実は田舎から出てきた人だったりするのに、
ダンナが大手商社マンというだけなのに、
少しでも優越感を味わおうとする偉そうな態度。

本音を言えるような関係になることもあるけど、
私は早くそんなくだらないグループから抜け出たかった。
自分が仕事をしてお金を稼ぎたかった。
でも小さい子がいると何もできなくて、
まだその当時はもやもやしていた。

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家族のこと


ここで、私の家族について簡単にご紹介します。

父=M・・・昭和ヒトケタ生まれながら、ぎりぎり学徒出陣をまぬがれた世代。
8人兄弟の長男で家は酒屋を営んでいたが、
母親(私の祖母)が教育熱心で、ほかの兄弟はほぼ全員教職。
子どもの頃から押し入れに隠れて勉強するほどの勉強好きだったとか。
もともとはエンジニアで入社し、有名車メーカーを定年まで勤め上げたが、
一般的常識や社会性には欠けている学者タイプの人間。
2016年12月他界。

母=SU・・・昔は羽振りがよかった織物工場の長女として生まれ、何不自由なく育った田舎のお嬢様。
自称「小町」。天真爛漫で親分肌。いざとなったら男より度胸がすわっているタイプ。
(というと良い性格のように思えるが、簡単にいうと大雑把な性格)
酒好きで、酔うと早すぎた結婚を後悔する言葉を吐きまくる。
金遣いが荒い典型的なB型女。

兄=T・・・小学生のときにロサンゼルスに移住したため、大人になってからも漢字と刺身が苦手。
子どもの頃から神経質で何事もきっちりしないと気が済まないタイプ。
そのせいか、物事に対する決断力が極端に鈍く、優柔不断が服を着て歩いているよう。
何かを買うときもまずはカタログ集めから。
バンド活動にのめりこみ過ぎ、7年間大学に通ったが、結局は普通の会社員に落ち着く。
バンドメンバーにはデビュー前の小室哲也がいた。

私=hit・・・物心ついたときにはロサンゼルスだったため、日本に帰国したときは全く日本語が話せず、
帰国すると聞いて、初めて「自分は日本人だった」と気が付かされた。
昔はまだ海外渡航が珍しく、いじめられるのを恐れて帰国子女だということは内緒にしていたが、
潜在的なトラウマから人見知りが激しい面がある。
神経質な面と大雑把な面の二面性があるため、自分で自分の事がよく分からないときがある。
アニ声なのがコンプレックス。

妹=Y・・・小さい頃は、髪がクルクルでお人形のようだった上に歳が離れた末っ子のため、
みんなにかわいがられたことで、気が強くわがまま。
男子を泣かすほどの女帝ぶりは大人になっても変わらず、今のダンナは3番目。
しつこい面がある一方、他人の話は聞く耳を持たないので、
話し合いで意見が対立すると堂々巡りになってめんどくさい。

5人家族中3人がAB型という、個人主義でバラバラな家族だったが、
居心地は悪くなかったように思う。


移住してもうすぐ3年

生い立ちから順番に書いていると、とてつもなく長〜くなりますので、
並行して移住後のことも書いていこうと思います。

東京で生まれ、ロサンゼルスから帰国後、関東を点々としてきましたが、
訳あって(どんな事情があったのかも追々書いていきますが)
佐賀県武雄市に移住することになったのが3年前の5月末のことでした。

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なぜ武雄市?
それは夫の実家があったから。
しかも巨大な家に心臓が悪いお義母さんが独りで住んでいたため、
自然とそういう流れになった。

また、武雄市は当時の樋渡市長が、スターバックスが併設されたTUTAYA図書館を推進したことで
全国的に有名になったところ。

夫婦二人ともフリーランスなので、
地方でもインフラが整備された今、インターネットさえ繋がっていれば、
例えば海外にいても仕事ができるという環境にあることもプラスに働いた。

そんな訳で長年住み慣れた都会から佐賀県武雄市に移住することを決意したのだが、
まずはマンションの売却をしなくてはならなかった。

西小山駅から徒歩5分という好条件ではあったものの、
売れるまでには半年かかった。

予想外に時間がかかったが、希望通りの価格で売ることができて
ほっとした。
3年前の3月のことだった。

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はじめての記憶

たまに考えることがある、
自分が憶えていることで一番古い記憶って何だろう…?

それはもうおぼろげで、
場所がどこなのか、朝なのか昼間なのか夜なのかさえもよく分からない。
ぼんやりと曇った中に、母と思われる人に私は抱かれていて、
たぶん、みかんを小さくくずしたものを口に入れてくれている。
そんなわずかな記憶がある。

そして、今でもはっきり思い出すことができるのは、
羽田からアメリカに向かう飛行機に乗るときの事。
2歳児ながら不安だったのだと思うが、
母に持たされた、フエルト素材のクマの横顔がバッグになったもの。
ディテールまで昨日のことのように憶えている。

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後はアメリカでの生活。
母とスーパーマーケットへ買い物に行ったり、
キンダーでのこと、友人と遊んだりしたこと、
流行っていた歌やテレビ、好きだったお菓子やおもちゃ、
車で出かけた場所のあちこち…。
5歳児にもなればたくさんのことを憶えているものだ。

何より自分でも驚いたのは、
30歳のころ、漂う花の香を嗅いで
「これは懐かしい香りだ…」と感じた。
それは夾竹桃の香。
あまり強い香りではないので、ご存知ない方も多いだろう。

しばらく、なぜ懐かしいのか分からなかったが、
ある日思い出した。
アメリカで住んでいた家の庭に夾竹桃の木があったのだ。

『子どもだから』と馬鹿にしてはいけない。
何十年も憶えていたりするんだから。
三つ子の魂、百まで。というのは嘘じゃないな。
その証拠に私は今でもシリアルやハンバーガーが大好きだもの(笑)

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はじめましてのご挨拶

いらっしゃいませ。こんにちは。
私のブログをご覧くださいまして、ありがとうございます。

移住までのことや日々感じたことなど、備忘録を兼ねて残しておこうと思い、ブログを始めることにしました。

まずは自己紹介をかねて、私、hithit26について、
書かせていただきますね。

と、言ってももう若くはない年齢。
自分でも一度には全部書ききれないほど、いろいろな事がありましたので、
少しずつ書いていくことになると思います。
前置きが長くなります事、ご了承ください。

1960年代、東京生まれ。
2歳のときに父親の転勤でロサンゼルスへ。
これが最初の引越し。
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小学校入学前に帰国。
これが2度目の引越し。
(だけど、物心ついてからは初めて)
大泉学園からバスで10分くらいのところで仮住まい。

半年くらいしてから今の実家のある場所に3度目の引越し。
それからしばらくは定住(笑)。

大学生のときに小平(鷹の台)に引越し。
というか、遠くて通うのが大変なので一人住まいを許可してもらった。

卒業後は実家に戻り、嫁ぐまでは彼氏の家を行ったり来たり。
そして、最初の結婚。
新居は高井戸のアパート。
これが4度目の引越し。

子どもが生まれて狭くなったこともあり、市川のマンションを知人から格安で借りる。
これが5度目の引越し。

バブルがはじけ、知人から「そろそろ出て行って」ということで、
実家に近い成増に6度目の引越し。

ある日突然、「私はこのままでいいのか?」と思い立ち、
応募したプロダクションの仕事が楽しすぎて、家庭崩壊を招く結果に。
離婚を機に奥沢へ。
これが7度目の引越し。

夜2階の住人が怒鳴り込んでくる人だったので、
不本意ながら西小山へ移動。
これが8度目。

同居人との喧嘩が絶えず、自殺未遂をして入院。
その後、気分転換のため、近くにできた新築マンションを購入。
これが9度目の引越し。

西小山の町もマンションもとても気に入っていたが、
世の中の景気が悪化するとともに、フリーランスではこの先
ここでの生活を維持していけないと思い、
悩んだ末に手放すことを決意。

そして、最終的にダンナの実家がある、
佐賀県武雄市へ移住することにした。
これが人生で10回目の引越し。
2014年の5月末のことでした。

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