訃報は突然に…初めての仁川で半べそかきながら走った思い出

テレビ塔

朝、起きぬけにfacebookを見ると、よく一緒にお花見をしたり、飲み会に誘ってくれた夫の会社の同僚の記事が…

「・・・昨日、弟は息をひきとりました」という内容のお兄さんの代筆だった。

大手広告代理店に勤務していた彼は、最近話題の、まさに“ブラック”な働き方を続けていて、
痛風は絶対にストレスが原因!と身を持って力説していた。

昔、彼から「上海に蟹食べに行こうよ」と誘われ、各自マイルの特典航空券を使って行くことに。
彼と夫はJの方でしたが、私だけAの方だったため、行きと帰りの飛行機は私ひとり別になった。
しかも、帰りの方は直行便が取れず、仁川空港で乗換えになった。

上海には私が先に到着し、ひと足先にホテルへ。
無料のシャトルバスの路線を調べて、停留所のあたりで買い物などしてからホテルに戻り
ロビーでビールを飲んでいると2人がやってきた。

その後、3人で上海蟹を食べに行ったのだが、
お店の入口にはガラス張りの小部屋があって、中でせっせと蟹の身を取り出す“蟹むき職人”なる人が…。
その分、お金を払うのだが、お皿に盛られた蟹の身を一瞬で食べてしまうのはなんだか申し訳ない気持ちにもなった。

なぜか見知らぬ中国美人も同席して、その夜はたらふく上海蟹を堪能し、ホテルへ戻った。
後で面白半分に彼を問いただすと
「全然、そんな関係じゃないよ」と。
どんな関係…?それ以上追及はしなかったが、腑に落ちないまま、2日後帰国の途についた。

早朝、まだ人がまばらな上海の浦東空港に眠そうな3人の姿があった。
彼と夫が飛行機に乗るのを見送ったあと、ひとり残された私が乗る便は数時間後のアシアナ。
もともと仁川での乗換え時間が30分しかなく「大丈夫ですか?」と言われていたのだが、
さらに到着が遅れ、実質15分しかない状態に私は焦った。

初めての仁川空港でたくさんの免税店が並んでいる中を
後ろ髪を引かれながら、走って走って…「間に合わなかったらどうしよう!!!」

思わず、立入禁止の場所のロープをくぐろうとして係員にたしなめられた。
「だって、時間がないのっっ!乗り遅れたら責任とってくれるのっっ??」
日本語は分からないだろうが、殺気立っている気配で何かを感じたのか、
それともおののいたのか、搭乗口まで案内してくれた。
ありがとう…(笑)

何とか間に合って無事成田まで帰り着くことができた。
将来、仁川国際空港に関連する仕事に就く日が来るとは、微塵も予感していなかったが、
今でもあの半べそで走った時のことを思い出すと恥ずかしくなって笑ってしまう。

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東京では人間らしい生活はできないと思った(その1)

私自身、ずっと東京(と言ってもすごい北のはじっこ)で育ち、
中学~高校はもっぱら池袋、新宿・渋谷あたりで遊んでた訳だから、
大人になるまでそんなことはみじんも感じたことなかった。

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最初に感じたのは子どもを持ったとき。
都会の公園ではいろいろな事件が起こり、
子どもだけでは安心して遊ばせられない状況になっていた。

常に親が一緒に公園に行き、監視のもと遊ぶ子どもたち。
そしてそこでは「公園デビュー」という言葉が生まれていた。

既にできあがっている輪に入って行くことができず、悩む母親…
仲間にはなれたものの、その人間関係に一喜一憂する母親…
周りの子どもと自分の子どもを比較して焦り落ち込む母親…

知らなくてもいい事が嫌でも耳に入ってしまったり、
そんなこと気にしなくていいのに、拍車をかけてくる意地悪な人たちも。

都心だととんでもなく経済的格差に身をさらされることにもなる。
億ションに住んでいる人と安いアパートに住んでいる人が同じ公園に行く。
何も言わなくても空気が教えてくれる。

そんな人だって実は田舎から出てきた人だったりするのに、
ダンナが大手商社マンというだけなのに、
少しでも優越感を味わおうとする偉そうな態度。

本音を言えるような関係になることもあるけど、
私は早くそんなくだらないグループから抜け出たかった。
自分が仕事をしてお金を稼ぎたかった。
でも小さい子がいると何もできなくて、
まだその当時はもやもやしていた。

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家族のこと


ここで、私の家族について簡単にご紹介します。

父=M・・・昭和ヒトケタ生まれながら、ぎりぎり学徒出陣をまぬがれた世代。
8人兄弟の長男で家は酒屋を営んでいたが、
母親(私の祖母)が教育熱心で、ほかの兄弟はほぼ全員教職。
子どもの頃から押し入れに隠れて勉強するほどの勉強好きだったとか。
もともとはエンジニアで入社し、有名車メーカーを定年まで勤め上げたが、
一般的常識や社会性には欠けている学者タイプの人間。
2016年12月他界。

母=SU・・・昔は羽振りがよかった織物工場の長女として生まれ、何不自由なく育った田舎のお嬢様。
自称「小町」。天真爛漫で親分肌。いざとなったら男より度胸がすわっているタイプ。
(というと良い性格のように思えるが、簡単にいうと大雑把な性格)
酒好きで、酔うと早すぎた結婚を後悔する言葉を吐きまくる。
金遣いが荒い典型的なB型女。

兄=T・・・小学生のときにロサンゼルスに移住したため、大人になってからも漢字と刺身が苦手。
子どもの頃から神経質で何事もきっちりしないと気が済まないタイプ。
そのせいか、物事に対する決断力が極端に鈍く、優柔不断が服を着て歩いているよう。
何かを買うときもまずはカタログ集めから。
バンド活動にのめりこみ過ぎ、7年間大学に通ったが、結局は普通の会社員に落ち着く。
バンドメンバーにはデビュー前の小室哲也がいた。

私=hit・・・物心ついたときにはロサンゼルスだったため、日本に帰国したときは全く日本語が話せず、
帰国すると聞いて、初めて「自分は日本人だった」と気が付かされた。
昔はまだ海外渡航が珍しく、いじめられるのを恐れて帰国子女だということは内緒にしていたが、
潜在的なトラウマから人見知りが激しい面がある。
神経質な面と大雑把な面の二面性があるため、自分で自分の事がよく分からないときがある。
アニ声なのがコンプレックス。

妹=Y・・・小さい頃は、髪がクルクルでお人形のようだった上に歳が離れた末っ子のため、
みんなにかわいがられたことで、気が強くわがまま。
男子を泣かすほどの女帝ぶりは大人になっても変わらず、今のダンナは3番目。
しつこい面がある一方、他人の話は聞く耳を持たないので、
話し合いで意見が対立すると堂々巡りになってめんどくさい。

5人家族中3人がAB型という、個人主義でバラバラな家族だったが、
居心地は悪くなかったように思う。


移住してもうすぐ3年

生い立ちから順番に書いていると、とてつもなく長〜くなりますので、
並行して移住後のことも書いていこうと思います。

東京で生まれ、ロサンゼルスから帰国後、関東を点々としてきましたが、
訳あって(どんな事情があったのかも追々書いていきますが)
佐賀県武雄市に移住することになったのが3年前の5月末のことでした。

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なぜ武雄市?
それは夫の実家があったから。
しかも巨大な家に心臓が悪いお義母さんが独りで住んでいたため、
自然とそういう流れになった。

また、武雄市は当時の樋渡市長が、スターバックスが併設されたTUTAYA図書館を推進したことで
全国的に有名になったところ。

夫婦二人ともフリーランスなので、
地方でもインフラが整備された今、インターネットさえ繋がっていれば、
例えば海外にいても仕事ができるという環境にあることもプラスに働いた。

そんな訳で長年住み慣れた都会から佐賀県武雄市に移住することを決意したのだが、
まずはマンションの売却をしなくてはならなかった。

西小山駅から徒歩5分という好条件ではあったものの、
売れるまでには半年かかった。

予想外に時間がかかったが、希望通りの価格で売ることができて
ほっとした。
3年前の3月のことだった。

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はじめての記憶

たまに考えることがある、
自分が憶えていることで一番古い記憶って何だろう…?

それはもうおぼろげで、
場所がどこなのか、朝なのか昼間なのか夜なのかさえもよく分からない。
ぼんやりと曇った中に、母と思われる人に私は抱かれていて、
たぶん、みかんを小さくくずしたものを口に入れてくれている。
そんなわずかな記憶がある。

そして、今でもはっきり思い出すことができるのは、
羽田からアメリカに向かう飛行機に乗るときの事。
2歳児ながら不安だったのだと思うが、
母に持たされた、フエルト素材のクマの横顔がバッグになったもの。
ディテールまで昨日のことのように憶えている。

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後はアメリカでの生活。
母とスーパーマーケットへ買い物に行ったり、
キンダーでのこと、友人と遊んだりしたこと、
流行っていた歌やテレビ、好きだったお菓子やおもちゃ、
車で出かけた場所のあちこち…。
5歳児にもなればたくさんのことを憶えているものだ。

何より自分でも驚いたのは、
30歳のころ、漂う花の香を嗅いで
「これは懐かしい香りだ…」と感じた。
それは夾竹桃の香。
あまり強い香りではないので、ご存知ない方も多いだろう。

しばらく、なぜ懐かしいのか分からなかったが、
ある日思い出した。
アメリカで住んでいた家の庭に夾竹桃の木があったのだ。

『子どもだから』と馬鹿にしてはいけない。
何十年も憶えていたりするんだから。
三つ子の魂、百まで。というのは嘘じゃないな。
その証拠に私は今でもシリアルやハンバーガーが大好きだもの(笑)

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